たった今、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を観ました。
と言っても、後半40分だけですが。
でも、庵野秀明監督が新劇場版でやりたいことは、大体わかりました。
もとより私は新劇場版をTV版映像のCG補完バージョンと考え、劇場公開時も足を運ばず、DVDも手に入れたけど未だに未見の状態でした。
でTV ON AIRのこの折に、残り40分のところで高みの見物のつもりでチャンネルを合わせてみたのです。
観てないとは言ってもそこそこ情報は入っていて、真希波・マリが出てビーストモードになったりとか、「翼をください」がラストで流れるとか、事前に入れていた瑣末な情報の他はやはりTV版と変わらない、
と思っていたのですが。
ゼルエル来襲の下りに至り、劇場版のアスカと似たような感じでマリが開き直って突っ込んでも歯が立たず、特攻をかけた綾波も果たせずゼルエルに取り込まれ(ここはTV版弐拾参話「涙」と同じ構造と見ました)、そして逃げていたシンジが戻って壱号機で出撃し、ゼルエルに肉薄するも活動限界が訪れ、絶望の淵に陥ったところで壱号機が覚醒した、とここまでは前と同じ流れでしたが、直後に放たれたシンジのセリフ、
「綾波を返せーーーー!!」 これを聞いた私はすぐにもの凄い違和感を覚え、しかし次の瞬間、
「ああ、なるほど!」と納得してしまいました。
エヴァ終了直後あたりに発行された庵野監督の対談本「スキゾ/パラノ エヴァンゲリオン」で庵野監督は、「エヴァ」は突き詰めれば「デビルマン」をやりたかった、と述べています。
ここでの「デビルマン」は'70年代に永井豪先生が週刊少年マガジンで連載したマンガ版を指していて、何だか中途半端に終わったアニメ版とは違い、人類が完全に滅びた後デーモンとデビルマン軍団が最終戦争を果たす、という当時としてはとんでもない展開で終結するものでした。
そしてラス前あたりで人間の心の底知れぬ醜さを知り、人類を守る戦いに意義を欠きかけたデビルマン=不動明が、「いや、おれにはまだ守るべき人がいる!
美樹!きみがいる限りおれは悪魔にはならん!」と、不動明の幼なじみでガールフレンド、
牧村美樹(立ち位置は綾波、性格はアスカ+マリ)を守る意識を持つことでモチベーションを取り戻す、という下りが存在するのです。
しかし実際には、恐怖に駆られ悪魔の心を持ってしまった人間自身の手にかかって美樹は殺されてしまい、その結果かデビルマンは人類が自らの業で滅んでしまうのを看過ごし、デーモン≒
飛鳥(ちなみに「アスカ」と読みます)了=サタン=エンジェル(天使)と戦うことに全力を費やす、となるのです。
本来庵野監督がイメージした綾波は明らかに「デビルマン」の美樹で、TV版の二人目の綾波は美樹のように死んでしまいますが、新劇場班:破では不動明が美樹を守りきったかのように、ゼルエルに取り込まれた綾波を救い出してしまいます(新装版「デビルマン」vol.5には、覚醒したシンジが綾波を抱きしめるシーンと極めて似た画が、不動明の夢想するイメージとして描かれています)。
細かいことを言えば、本来マンガ版「デビルマン」で綾波の中身と渚カヲルの立ち位置に当たるのは飛鳥了(これはラス前で明らかになることで、かなりややこしい構造ですが)であり、美樹は綾波であると同時にデビルマン=不動明を人間側につなぎとめておくための、明自身の良心の役割を果たすはずでしたが、ここの読者はご存じない動乱の'70年代を反映して、美樹は殺され人類は滅んでしまいます。
一方、TV版エヴァの第拾九話「男の戦い」あたりから、シンジの戦うモチベーションがはっきり見えなくなります。トウジの片足を奪った(本当は死なせる予定だったとか)のを契機に使徒に復讐心を覚えるでもなく、綾波や飛鳥、いやアスカに心を奪われ守る感じでもなく、壁である父親、ゲンドウを越える決意を持つも実行に移すでもなく、飛鳥了となるはずの渚カヲルも自らの手で殺してしまい、監督自身の逡巡を投影したのか果てしない自問自答を最終二話で繰り返したあげく、「僕は僕だ、僕はここに居ていいんだ!」と意味のない自己確認を叫んで終わってしまいました。
放送直後は私も、哲学、心理学的な意味合いで、世間の騒ぎに反してこのラストはアリだ、とは納得してしまいましたが、確かに何かが欠けているような印象を覚え釈然としない想いを抱き続けていました。
そしてこの度「破」のラストを観てわかったのは、まさに
それまでのエヴァに欠けていたのが、この「綾波を返せーーー!!」というシンジの意志だったのてす。
シンジが動くのに人類を守るとか、ゲンドウを超えるとか、そんな大義名分はどうでもよかったのです。
不動明が美樹を守りたかったように、シンジは綾波かアスカに惹かれ、そして戦ううちに男として彼女にのめり込み、彼女を守るために戦う、エヴァのあの先を続けるにはそれでよかった、というよりそれが欲しかったのです。そうすれば第拾九話の「男の戦い」という題名が生きてくるはずだったのです。
しかも「破」のラストで現われた渚カヲル君は明らかに飛鳥了=サタン=天使であり、庵野監督が地球滅亡で終わってしまったマンガ版「デビルマン」のその先を続けるような、そんな勢いを感じてしまいました。
しかもあの予告編、皆までは言いませんが、あたかもデビルマンの後発作品「イヤハヤ南友」のラストを思わせる言葉が出てきます。とすれば
エヴァの元ネタである「デビルマン」で滅ぼした人類を、再生させる意図で永井豪先生が描いた「イヤハヤ南友」に至るまで、庵野監督は新劇場版やろうとしているのかも知れません。
しかし私はこれまでと同じく、大人料金を払ってまで「Q」を観に行くことはないでしょう。劇場公開はスルーし、せめてレンタルDVDが準新作料金になったあたりで押さえる程度でしょう。
しかし、少し楽しみです。では。